洞川温泉の薬屋から
生まれた、
小さなビールの醸造所。
思い出すのは、
夜中まで賑わっていた
温泉街。
私は、洞川温泉で伝統薬「陀羅尼助丸」を代々販売してきた「銭谷小角堂」の息子として生まれました。30年ほど前、私がまだ幼かった頃は交通の便も今ほど整ってはいませんでしたが、温泉街の中に学校も商店もあり、生活のすべてがこの街で成り立っていたように思います。自分のことながら、温泉宿と自然に囲まれて過ごした幼少期を振り返ると、とても特殊な環境で生まれ育ったなと感じます。
当時は山伏さんの団体が数百人単位で訪れることも珍しくなく、夜が更けてもあちこちで下駄の音がカラコロと鳴り響いていました。修験道はどこかおおらかなところがあり、修行を終えた山伏さんたちはお酒と食事を楽しみ、この山深い温泉街で非日常を満喫してから帰るのが常だったのです。
高校進学を機に温泉街を出てから10年ほど経ち、私がこの街に帰ってきたのは2000年代に入ってからのことです。その頃には、記憶の中にある賑やかな温泉街の姿はなく、山伏さんが目に見えて減っていることに気づきました。
地元産の素材で、
温泉街に新しい風を。
これまで修験道とともに栄えてきた温泉街ですが、このまま山伏さんにおんぶに抱っこの状態ではいられない。父とともに薬屋を営む一方、この土地の魅力を発信できる、新しい何かを探していました。
クラフトビールに目をつけたのは、本当に直感です。せっかく「ごろごろ水」という美味しい湧水があるのに、ビールも地酒もないのはもったいないな、と感じたことがきっかけでした。はじめは「旅館の誰かが始めたらいいのに」と思い、商工会の場で話を振ってみたりもしましたが、なかなか実現はしないまま。これは自分がやるしかないな、と思って小ロットでの委託製造に挑戦しはじめた時、コロナウイルスが世間を騒がせました。幸い薬の販売は続けられたものの、温泉街のダメージは相当なもの。補助金の給付を知った時、「今しかない」と本格的なビール醸造への決意が固まりました。
ビールを作る難しさを知らなかったことが、思い切って行動できた理由かもしれません(笑)。大学では薬学部に進学、その後も薬剤師の国家試験の専門学校で講師をするなど、家業を継ぐことしか頭になかった私にとって、ビール醸造はおろか、商品の開発自体が全くの未経験でした。しかし、試行錯誤しながらも数社のブルワリーにアドバイスをいただくことで、洞川温泉の名水を使ったクラフトビールを完成させることができました。
キハダや夏いちごなど、一部のビールには地域で採れた食材を使っています。特にキハダは、陀羅尼助丸の主成分・オウバクエキスの原料となる植物ですが、薬に使われるのは皮の部分のみ。実の部分をビールの風味付けに活かせたのは、長年薬を売り続け、キハダという素材の特性を誰よりも知っている薬屋ならではの発想だったと思います。これからも、地元産の食材を使って、洞川温泉ならではの味を作っていきたいですね。
醸造所で生まれている、
新たな出会い。
居酒屋やスナックが減ってしまった今、この醸造所が地域のサロン的存在になればいいなと思います。最近は、仕事終わりの旅館の大将、修行帰りの山伏さん、そして観光客の方が並んで、談笑している風景が見られることも。ふらっと寄れる立ち飲みのお店があると、偶然の出会いが生まれて、会話も弾みますよね。
薬屋がお酒を売ることに、矛盾を感じる方もいるかもしれません。でも、薬もお酒も長期的な目で見ると「日常を応援する」という点で共通していると思うんです。陀羅尼助丸は、その場しのぎで腹痛を収めるだけでなく、その先に続く生活を頑張るためにある。旅先でお酒を飲んでリフレッシュすることは「また明日から頑張ろう」と思えるきっかけにもなる。私はどちらも、皆さんの日常を応援する気持ちでやっています。
ちなみに、陀羅尼助丸は二日酔い防止にも効くんです(笑)。醸造所でビールを楽しむ時は、陀羅尼助丸をお供にしてもらえたら嬉しいです。